その16はこちら
数秒後相手はふらつきながら膝をついた。
明らかにダウンだと思ったがレフェリーは「スリップ」と判定。
後になってわかったことだがこのとき相手は顎を骨折していたという。
「いやどう見てもダウンだろ!」と内心ツッコミを入れつつも目の前のチャンスは逃せない。
すぐに距離を詰め畳みかけるようにパンチを連打。
とにかく仕留めにかかった。
しかし相手も簡単には倒れない。
完全にディフェンスに徹しロープを背負いながらも巧みにパンチをかわしてくる。
まさにロープ・ア・ドープ。
うまいなとは思ったが自分の頭は不思議と冷静だった。
相手の動きをよく見てフェイントを織り交ぜながら強振を避けコンパクトなパンチを正確に当て続けた。
狙いはレフェリーストップだ。
そしてついにレフェリーが割って入った。
「よっしゃ! 勝った!!」
思わず両手を挙げた。
だが次の瞬間レフェリーは「ダウン」と宣告。
私にニュートラルコーナーへ向かうよう指示してきた。
「は? なんで!?」とセコンドに視線を送るが彼らは無反応。
まったく頼りにならなかった。
この時の様子もしっかり映像に残っていた。
実はボクシングには「ロープダウン」というルールがありロープを背負いながら攻撃を受け続け反撃しない状態が続くとダウンと見なされる。
ただそのルールはこの時点で廃止されていたはずだった。
最初の膝つきをスリップ扱いにし今度は明らかにTKOなのに「ダウン」と判定する。
「どんだけチャンピオン贔屓なんだよ」と怒りが込み上げますますヒートアップした。
しかし試合はまだ終わっていない。
気持ちを抑え仕留めにかかった。
相手も残った力を振り絞って反撃してきたがもう私を倒すパワーは残っていなかった。
攻撃の合間を見計らい攻防を入れ替えて放った渾身の右ストレートが再びクリーンヒット。
相手は両手をだらりと下げ顔をうつむけた瞬間レフェリーが駆け寄り今度こそ正式なレフェリーストップが宣言された。
あとから映像を観て気づいたのだが最後の右ストレートが決まった瞬間相手の口からマウスピースが弧を描いて宙を舞っていた。
「あしたのジョーじゃん……」
思わずドキドキした。
こうして私は、日本ミドル級チャンピオンの座をついに手に入れた。
試合終盤で自然と身体からあふれ出たあの独特なリズムと動き。
あれは当時東洋太平洋ミドル級チャンピオンだった黒人ボクサーのスタイルを無意識に真似たものだった。
彼とは数回スパーリングをさせてもらったことがあり毎回こっぴどくやられていた。
その体験が身体に染みついていたのだろう。
そしてこの日自分が倒したチャンピオンが過去に唯一顎を砕かれて敗れた相手それがその黒人選手だった事を後に知ることとなる。
続く
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