その17はこちら
ついにチャンピオンになった。
「これでようやくダメ人間クズ人間から抜け出せる」
「普通の人間になれる」
そう思っていつもの日常に戻った。
けれど現実は違った。
普通どころではなかった。
ボクシング専門誌はもちろんスポーツ誌さらには一般メディアからも取材が舞い込んだ。
あっという間に世間から「ちょっとすごい人」扱いされるようになった。
自然と周囲の人間関係も変わった。
その流れでVシネマや映画に出演する話も舞い込んできた。
ずっと夢見ていた「俳優業」を始めることができ現在で活動を続けている。
そしてボクシングと並行して6年間続けていたアルバイトもようやく辞めた。
「絶対こんなところで終わらねぇ…」
「ぜってぇ人生逆転してやる…」
あの頃自分に言い聞かせていた言葉。
その言葉を現実にした自分への静かな誇りもあった。
ボクシングだけで生きるという真の意味での「プロ」になりたかったのだ。
その後日本タイトルを保持し続け3年間で9度の防衛に成功。
しかし10度目の防衛戦でついに敗北。
王座を失った。
その頃の自分は満身創痍だった。
3ヶ月に1度という過密なスケジュールでタイトルマッチをこなしながら世界タイトルへの挑戦の機会をうかがっていた。
だがそのチャンスはなかなか巡ってこない。
気づかないうちに少しずつモチベーションが削られていった。
辞めようにも他にできることはなかった。
「もしかしたらまだチャンスがあるかもしれない」
そう信じて引退せずにボクシングを続けた。
2年後再び日本ミドル級チャンピオンに返り咲いた。
だが初防衛戦でまたも敗北。
タイトルを失った。
このとき精神的にも肉体的にも疲弊していた。
自分では気づいていなかったが長年の疲労が蓄積され反応が鈍っていたことに後でようやく気づいた。
その頃モチベーションを低下させるもう一つの要因があった。
それが「K-1」の存在だ。
1990年代に始まったK-1はヘビー級のキックボクサーたちがしのぎを削る大迫力のイベント。
ゴールデンタイムにテレビで放送され多くの注目を集めていた。
一方同じ格闘技でも自分の出ているボクシングの試合は深夜枠。
テレビの前でK-1を見ながらどうしようもない悔しさを感じていた。
そして2002年「K-1 WORLD MAX」が始まった。
70kg以下の選手たち。
つまり自分とほぼ同じ階級の選手たちが主役の大会だった。
番組では「ミドル級最強を決める」といった煽り文句が飛び交いゴールデンタイムでのテレビ放送。
「俺はミドル級の日本チャンピオンなのにそこにすら呼ばれない。なのに最強を決めるだと…?」
またしても歯がゆさが胸を締めつけた。
そして自分の意識は少しずつだが確実にK-1という舞台へと向かい始めていた。
そして2005年。
再び王座を失ったことをきっかけについに自分の人生を大きく動かすある事件を起こしてしまったのだった。
続く
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