鈴木悟
1976年3月3日東京都八王子市で生まれた。
時間は少し経って13歳。
学校の部活で柔道を始めた。
それがきっかけでそこからは様々な格闘技に取り組んだ。
柔道、空手、合気柔術、ボクシング、キックボクシング、シュートボクシング、柔術、プロレスとまぁとにかく色々やった。
気づけばもう35年も格闘技をやっている。
プロとしても28年やってきてその中でボクシング、シュートボクシング、プロレスでチャンピオンになった。
これら3つの異なる競技でチャンピオンになったのは世界で私が初めて。
史上初の異種格闘技三冠王という肩書きを手に入れた。
こう話すと順風満帆な人生に聞こえるかもしれないが実際はそんなに甘い人生ではなかった。幼い頃に両親が離婚。
母親に引き取られたがあまり良い家庭環境ではなかった。
今で言う「毒親」だった。
本人がどう思っていたのかは知らないが私は辛い想いをしたのだからそれはそれだ。
そのせいで自然と「足音を消す」「気配を消す」「扉の開け閉めで音を出さない」というなんとも忍者みたいなスキルが身についてしまった。
今でも気づいたら無意識にやっていてもう完全にクセになっている。
そこからまた少し時間は経ち高校生になった。
高校時代にはいじめを受けそれを跳ね返すことができず敢えなく結局高校をやめてしまった。
いじめた奴らが何を考えてたのかは知らないが私は嫌な想いをしたのだからそれはいじめだ。
高校をやめてからはフリーター生活。
しかし仕事はどれも長く続かずたくさんの仕事を始めては辞め始めては辞めしていた。
ひどい時は半日でやめたこともあった。
今思えばあの時が人生最大と言っていいほどの暗黒時代で1年半くらいただの「ダメ人間」だった。
17歳の時周りの友人が進学か就職という話をし始めた。
私は今の現状から今後どうするのだろうと少し焦りを覚えた。
いじめとはいえ高校を中退しているし勉強が好きなわけではないから進学はない。
フリーターなんて響きで社会にいるがろくに仕事も続いたことがない。
このときしっかりしていれば大人になってこんなに勉強に追い込まれることもなかったのかもしれないのに…
周囲から「モデルとかやればいいんじゃない?」などと言われていたし元々芸能界に興味は持っていた。
しかしどうやって始めればいいかわからず結局何も行動できずにいた。
大人になって聞いた話では「明星」とか他にもなんたらという「芸能誌」が当時から発売されておりそれらを見てオーディションを申し込んだり履歴書を事務所に送ったりしていたみたいね。
そんな時テレビで野球選手がバラエティ番組に出てるのを見て「野球選手になればテレビに出られるのか!」と思い野球選手になろうかと思ったがよくよく考えたら私遊び程度でしか野球やったことないし団体競技がそもそも無理だからあっさりその夢は消えた。
そしてまたテレビを見ていたら直接の先輩ではないが後に同じ業界の大先輩となる輪島功一さんガッツ石松さん具志堅用高さんなど世界チャンピオン達ががバラエティに出て活躍しているのを見た。
「ボクシングで世界チャンピオンになればテレビに出られるんだ!」と考えすぐにボクシング誌を買いに書店へ向かっていた。
当時からボクシングは好きだったのでそこにあまり抵抗はなかった。
「ボクシングで世界チャンピオンになる」は足掛かりやきっかけで真の目的は「芸能人になる!」という野望を胸に近道なのか遠回りなのかわからないボクシングの世界へ飛び込んだ。
そういえばそのときは「ジムはどこにあるんだ?」と書店へ行きボクシング誌を買ってボクシングジムを探したんだった。
芸能の仕事をしたいから「事務所はどこにあるんだ?」と書店に探しに来る発想があれば現在はどうなっていたんだろうな…
スポーツ誌と芸能誌って結構隣りあってたりするから間違って芸能誌見つけたりしてたらなおもしろかったのにな…おもしろくないな…むしろそうなって欲しかった。
もしあの時間違って芸能誌を手に取ってたら今頃どうなってたんだろうな?
ボクシングジムを探す代わりに芸能事務所を探してたかな。
でも結局私が選んだのは格闘技の道だった。
大人になってから出会った人達で私が格闘家だという話になると「ジムショはどこなの?」と聞かれたりする。
私は「ん?」となったりもするけれどそれは素人さんのよくある勘違い。
「ジム」と「事務所」は似て非なるものです。
しかしなんだかんだ言って私の人生は「進学か就職か」ではなく「ジムか事務所」の違いで決まってしまったのかも。
そんなこんなで勉強もできない社会に出てもまともに仕事もできない「ダメ人間」「人間のクズ」「最底辺の人間」が自分の人生の一発逆転に命を賭けて奮闘する物語の幕が上がった瞬間でした。
続く
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