その1はこちら
18歳でボクシングジムの門を叩き入門しトレーニングを始めることになった。
しかし当然ジムに通うには月会費がかかる。
仕事をしなければお金は手に入らないし月会費も払えない。
つまりボクシングという厳しい世界に挑む前にまず私にしてみれば現実の「社会」という強敵に立ち向かわなければならなかったのだ。
これまで散々逃げ続けてきた「クズ人間」にはもう逃げ場などない。
やらざるを得ない状況に追い込まれていた。
もちろんジムの会費を払うためだけではない。
家賃や食費など生きていくために必要な金を稼ぐ必要もあるのだ。
そうなるとジムのオープンしている時間やトレーニングの時間を確保しながら働ける環境を作らなければならななかった。
そのような条件を満たしているものを探しこれならばできるかもと見つけたのが『佐川急便』のアルバイトだった。
履歴書を持って面接へ行き仕事内容や条件などの意見交換をし結果は後日連絡するということで話は終わった。
後日きた連絡で採用を伝えられた。
それから青と白のストライプのシャツを着て早朝から夜まで荷物を運びながらボクシングのトレーニングをするという日々が始まった。
もちろん逃げ出したくなったことは数えきれないほどあった。
しかしその度にいくら考えても逃げ道は見つからなかった。
一生分逃げ尽くした私はついに本当の崖っぷちに追い込まれていたのだ。
辛くて逃げ出したくなるたびに絶望しまた仕事に戻る。
そんなことを何度も何度も繰り返した。
そんな時にふと口から出ていた言葉があった。
「絶対にこんなところで終わらない」「絶対に人生を逆転してやる」だった。
辛いときにはいつもそう呟いていた。
私は人に弱みを見せるのが嫌いだった。
なのでいつも何事もないような涼しい顔をして過ごしていた。
だがあまりにも限界を超えてしまった時にはこっそりと人目のつかない場所で大声を出し泣いていたこともあった。
そんな状況で仕事とトレーニングを両立させた新生活が始まった。
朝は5時に起きてランニングへ行き帰ってきたら身支度をして仕事へ向かう。
夜まで働いた後ジムへ行ってトレーニングをする。
トレーニングが終わったら帰宅し家事などをこなし寝る。
毎日の大体の平均睡眠時間は4〜5時間だった。
そんな生活をチャンピオンになるまでの6年間続けた。
たまにはジムをサボって飲みに行き寝ずに仕事をするなんてこともあったがそれもまた一興。たまには息抜きも大切です。
さて話をもう少し昔に戻して。
ジムに入ったからといってすぐに試合に出られるわけではない。
まずはプロボクサーになるためのテストを受けてライセンスを取得しなければならなかった。前に述べたような生活を約1年ほど続けようやくプロテストに挑む場面までたどり着いた。
プロテストの内容はルールなどを把握しているかの確認のための筆記試験とプロボクサーとしてリングの上で戦うだけの技術や体力があるのかを見る実地試験のスパーリングの2つを行う。
最初に筆記試験を行うがこれはは問題なくクリアした。
「こんなもんで落ちる奴がいるのか?」と思ったものだが後に聞いた話では意外と落ちる奴がいるらしい。
そして筆記試験を合格した者が次の実地試験のスパーリングへと進める。
30年前の記憶なので曖昧だが事前に自己申告した適正体重を基に対戦相手をマッチングさせていくのだと思うのだが筆記試験で合格してい者はその場にはいない。
そのためその場で自己申告した体重と体格などを見て近いもの同士を試験官たちが組ませていた印象だった。
「めちゃくちゃ強い人が相手だったらどうしよう…」と緊張しながら自分の番を待っていた。ところが組まされたのはなんと同じジムで同じ時間帯にトレーニングしていたお互いがよく知る仲の良い人だった。
「え?これってどちらかが受かったらどちらかが落ちるんじゃないの?」という疑問と心配が頭をよぎった。
そんな心配をよそに前の組からスパーリングは始まってしまった。
結末や如何に!?
続く
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